「阿蘭陀西鶴」 朝井まかて

あおいは九つで母親を亡くし、幼い二人の弟は養子に出され、父娘二人暮らしとなった。
あおいは盲目だったが、たとえ一人になっても困らぬようにと母に料理も裁縫も仕込まれ生活に不自由はなかった。

しかし、問題は父である。

父の名は井原西鶴。
俳諧師。後に草紙作家として名を馳せる。

自称、阿蘭陀西鶴。
阿蘭陀(おらんだ)とは、異端という意味である。

自分勝手で、目立ちたがりで、見栄っ張りの道楽者。
家族にとっては迷惑極まりないが、巷では人気者。

俳諧師としての西鶴は市井の人々には人気が高かったが、俳壇からは俗物扱いで、一流とは認められずにくすぶっていた。

そんな西鶴は突然、長いものが書きたくなったと、浮世草子「好色一代男」を一気に書き上げ出版すると、これが庶民の人気の的となる。
西鶴はここから次々と草紙作品を発表し、江戸の世に大衆娯楽小説というまったく新しい分野を切り拓くのだった。

この作品は娘のあおいの視点で描く西鶴の半生記ですが、同時に父娘の愛憎を描いた作品でもあります。

西鶴は何かにつけてあおいを人々の面前に立たせては、良くできた娘だと自慢するのですが、盲目のあおいはその度に好奇の目にさらされ、いらぬ同情を受けることが只々不愉快でした。
思春期のあおいは父が嫌で嫌で仕方が無かったのです。

何かにつけて、あおいの見方は極めて客観的で冷めたています。
父に対しても、周りの大人たちに対しても。
大阪弁でぶった切るセリフがかなり笑えます。
あおいは盲目であるが為にかえって他の感覚が鋭敏で、観察力が鋭く大層賢い子どもなのです。

とは言え、やはり子供故、盲目故、大人の事情を察することまでには至りません。

西鶴は俳諧にしても草紙にしても推敲の為に大声で読み上げるので、話はすっかりあおいの頭に入ってしまいます。
そしてあおいは気付きます。
父の作る草紙は触れたことも見たことも無い物や世界を想像の力で読者に体感させる力があることを。そして目の見えぬ自分の世界が広がっていくことを。

あおいも成長するにつれ、父の才能の高さ、不器用な愛情に気付くのです。

後味爽やか。素敵な作品でした。

お気に入り度:★★★★★

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